2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

⑬大好きな母との別れ

平成15年、6月26日、1時30分 私達は、最愛の母を亡くした。 私が付き添いしておきながら、 母は一人で体を冷たくし。 死亡する一時間半前にナースに起こして貰うまでは 馬鹿な私は、母がその日死ぬとも思わず寝てしまった。 25日に、叔母や、祖母…

⑫大好きな母、最後の賭け

私は、母と旅行に行きたかった。 母は、日田の豆町に行きたいと言う。 ダスキンで車椅子を借りる。 叔母も誘った。 大きいワゴン車に、車椅子と、母が横になれるよう、布団をひいた。 車椅子を押して、街を見て回り、小物を沢山買った。 母は、この時にはも…

⑪大好きな母の精神状態

母の職場が傾いているらしく、 母の上司は、 社長に「自分は自殺するから、出た保険金で何とか会社を経ち直してくれ。」 と託していた。 上司は、「保険金が出た所で、経ち直せれるかは、解らない。」 そして、もうこの会社は駄目だ! 共倒れになるなら、今…

⑩大好きな母の不調

11月10日 この頃から、母は食べた物を吐く様になっていた。 永井先生に相談すると、手術した医療センターで見てもらった方が良いと言うので、そのまま行った。 医療センターは、母を助ける気が無いのに、何故検査ばかりするのだろう。 この時、無理矢理にで…

⑨大好きな母の手術一年後

平成14年8月13日 1年前の手術中に、死んでいたら 「今日が母の命日になってたよね!」と皆で笑いながら、 門司の花火を見に行った。 母が沢山お弁当を作ってくれていた。皆で美味しく食べながら見る花火は、 今迄生きて来て見たどの花火よりも美しくかった。…

⑧大好きな母、横内先生との出会い

11月12日(月曜日) 医療センター内科診察。 「診察は3ヶ月に1度で良い」と言われる。 この日は、横内医院の初診の前日だと云うのに、午前中は、医療センター、午後からは、永井外科での点滴と、1日バタバタして、気が付いた時には夕方6時。 ふと、(明日の…

⑦大好きな母、永井医院との出会い

母が入院して直ぐ、叔母に、自分の部屋からある物を持って来てくれ!と言っていた。 叔母が、コインの様な物を持って行くと、大事そうに握り締めていた。 「それは、何?」と聞くと、東京の横内先生が作った電磁波ブロッカーで、有害電磁波を遮断する物らし…

⑥大好きな母の峠

8月14日(火曜日) ICUには、1日2回、13時30分〜と18時〜と、それぞれ3人づつしか入れない。 祖母を毎回入れてあげようと思ったが、娘のそんな姿を見たくないらしく、「行かない」と言う。 8月15日(水曜日) 弟一家が、私の家に泊まり、祖母と叔母が母の家…

⑤大好きな母の余命

平成13年9月7日(金曜日) 風があるが蒸し暑い 私は今迄『ガン』の事を「転移の可能性があって、死ぬかもしれない怖い病気」としか言いようの無い知識しか持っていなかった。 しかし、実母(58歳)が平成13年8月10日(金曜日)に緊急入院。手術を体験し、色々な…

④宝物、笑衣(えみい)

夫は男の子を欲しがっていた。 私は元気に生まれてきてくれたらどちらでも良かった。 みきは何故か絶対に「妹!」と言い張っていた。 妊娠が解り、産婦人科に行くと、先生が「やっと来たかね?」と歓迎してくれた。 みきを無事に生んだ安心感からか、今回の…

③長女 弥希(みき)

阿弥陀様、他神様、御先祖に守られて、希望が叶う(弥希) オッパイが出ない為、針をして貰う。 この産婦人科は夜は赤ちゃんを預けてゆっくり寝る事になっているが、何かと理由を付けてみきを部屋に連れ込んだ。 顔を見てると、手を握ってみると、足を触って…

②大切な宝物、弥希(みき)

茉由の事を忘れた訳ではない。 でももし、私のお腹に新しい命が芽生えたなら、 「それは茉由の人生だった。」と思う事にして、あえて茉由の出産予定日の前に、弥希を身籠った。 もし弥希が無事に生まれてきてくれたら、二人の赤ちゃんは一緒に私のお腹に宿れ…

①宝物、茉由(まゆ)との別れ

私の父は、代々陶器屋の跡取り息子、子供の頃は食事を料亭で取って食べさせて貰ってたらしい。 私の母は洋服屋、布団屋を経営してる家のお嬢様で、私が子供の頃は沢山のミシンが並んだ部屋で縫い子さんたちが服を作っていたのを覚えている。 大学時代を熊本…