⑯父の不調

 
 
母の納骨も終わり、父は一人ぼっちになったので、出来るだけ毎日子ども達も連れて様子を見に行く。
 
 
父にそれとなく聞いてみる。
「あんた、癌になったらどうしたい?戦う?」
 
 
「俺は、癌になったら、ママの最期みたいに、ワケワカランくなって死にたい!」と言う。
 
 
「告知は?」と聞くと、
 
「聞きたくない!」
 
と言われた。
 
 
 
それから、職場の友達を家に呼んで暮らしたりとしていた。
 
玄関の電球が切れたので、二人で変えようとしたら、電球が爆発したらしい。
 
 
直ぐに破片を片付けて、夫に電球を変えてもらう。
 
 
 
父は、料理は得意だったが、他の家事が出来ない。
 
 
毎日、私が洗濯物を取りに行き、茶碗を洗い、みきが掃除機をかけてくれていた。
 
 
そして、私は仕事を始めた。
 
それから、子供会の役員もした。
 
 
ずっと、母の事を考えていたら、おかしくなりそうだったからだ。
 
 
 
私は、父の事が嫌いだった。
 
子供の頃、母を叩いていたからだ。
 
 
 
私がまだ独身の頃、父が母の育てた植物をひっくり返して、母と喧嘩をした事があった。
 
その時に私は「貴様、殺してやる!」
と大きな目覚まし時計を持って、
父に向かって行った。
 
 
酔った父は「お前いい度胸やないか!」と殴り合いになった。
 
 
母が泣きながら止めていた。
 
 
私は鼻血を出しただけで、怪我は無かった。
 
 
父は目覚まし時計でぶん殴られたので、アチコチ怪我をしていたらしい。
 
 
母が父の手当てをしていると、
「近所の人から通報されても、俺の怪我は、階段から落ちた事にしてくれ!」と私を庇っていたらしい。
 
 
 
そして何故か、私が結婚してからは、父は大人しくなり、夫婦喧嘩といっても、母が一方的にギャーギャー言うだけで、父は怒らなくなった。
 
 
弟一家も良く帰って来てくれ、顔を見せてくれた。
 
 
 
私とは仲良くないものの、夫を非常に可愛がり、美味しい物を二人で食べに行ったり、
(私は夫にビールの制限をしていたが)
父は夫のご飯を作り、ビールを好きなだけ飲ませた。
 
 
休みの日の前等は、2人で10リットルは飲んでいた。
 
 
 
何を話す訳でもなく、父の焼いた肉を食べながら、ビールを飲み、TVを見て笑っていた。
 
 
 
父が60歳になった頃、弟一家が実家に来た。
 
 
父は、弟に「俺、もう定年していいか?」と聞いた。
 
 
なんでも、肋骨が痛くて、朝4時前から1回も休んだ事なく仕事して、少し疲れたらしい。
 
この頃から、背中を痛がって、私やみきがマッサージさせられていた。
 
 
 
私は、父は職場で嫌われてると思い込んでいた。
 
 
私に、「デブ」等言っていたので、
職場の女の子にもそんな失礼な事を言っているに違いないと思い込んでいた。
 
 
父は、定年の時には
ナイキのスニーカーや、時計、色んな物を貰ってきていた。
 
 
私は、ある日父に「そんなに背中痛いなら整形外科に行こうよ!」と誘い、車に乗せ
そのまま都市高速に乗って
(新小倉病院)小児科の受付をし、みきとえみいの主治医に相談した。
 
待ち時間がかかり、短気な父は怒っていたが、咳が止まらないのが
私は不安で、最も信頼している、子供達の主治医に診てもらった。
 
 
主治医は、父の診察をして、
早速とCT検査とレントゲンと血液検査のオーダーを入れた。
 
 
普通の大きい病院に行けば、
検査の予約だけ取らされ、そのまま帰されるのが不安だったからだ。
 
 
検査を一通り受けて、内科のドクターへと紹介された。
 
 
結果を聞きに行く日にちを予約して帰った。
この時に他の検査の予約もとった。
 
 
 
小児科の主治医の顔が気になっていた私は、自分の家に帰り、
(新小倉)の小児科の主治医に電話をかけた。
 
 
「先生の意見を聞かせて下さい。」
と言った。
 
小児科主治医は
「検査の結果が出てみないとハッキリとは、言えないが、物凄くラッキーだと、結核。」
 
 
 
「ラッキーじゃないとしたら?」
と食い下がる私に、
 
 
「末期の肺癌です。」
と言った。
 
 
頭がクラクラなるのを感じ、
「父に、癌になったら告知しないでくれ!と言われています。
私からも言いますが、内科のドクターに、『告知しないで』と伝えて下さい!」と取り乱さずに言った。
 
 
この小児科主治医には、ずっと母の事を相談しており、子ども達もずっと診てもらっていたので、信頼があった。
そして、何よりこの病院では権力があった。
 
 
普通は初診で、ここまでの検査は出来ない。
 
 
日にちは、記録してないので解らないが、母が亡くなってまだ1年経っていなかった。
 
 
結果を聞きに行く時に、ナースに付き添われ、父は色んな検査をした。
 
 
その間に私だけが、内科の主治医の話を聞いた。
 
 
 
「末期の肺癌です。
両方の肺に癌があって、手術出来る大きさではありません。
ここまでくるには、かなりの痛みがあったはずです。」
と伝えられた。
 
 
「普通の日常生活が出来るのは、後どの位ですか?」と聞くと、
 
 
「2週間でしょう。出来れば直ぐ入院して頂きたい。」と告げられた。
 
 
「弟に相談するので、待ってください。そして、この事は父には言わないでください。」と伝えた。
 
 
父が検査から帰って来るのを待っている間に弟にメールした。
 
 
 
家に帰ってから、弟に電話した。
 
 
父の意思があるので、それまで精一杯 親孝行しよう。
と弟と誓った。