⑧大好きな母、横内先生との出会い

 

 

 
11月12日(月曜日)
医療センター内科診察。
「診察は3ヶ月に1度で良い」と言われる。
この日は、横内医院の初診の前日だと云うのに、午前中は、医療センター、午後からは、永井外科での点滴と、1日バタバタして、気が付いた時には夕方6時。
 
ふと、(明日の横内医院の時間は何時だっけ?)
と思った時には、横内医院は終わっていた。
青ざめて、友達に聞いて回るが、2時、2時半、3時、と皆言う事が違う。
(本当に明日だったかな?)
変な不安も出て来て、眠れそうに無い。
友達が「明日、朝1に横内医院に電話して確かめるから!」
と言うので、少し気を落ち着かせて、準備して寝る事にした。
 
皆を巻き込んで、横内医院の初診にこぎ着けたのに、これで日にちが、私の聞き間違いだったらどうしよう?!と不安で寝付けなかった。
 
友達は友達で、引き受けたは良いが、「今日じゃ無いですよ!」
と言われたら、どうやってゴリ押ししたら良いの?と、心配で心配でたまらなかったらしい。
 
11月13日(火曜日)
朝6時に、母宅へ。
母の上司が、小倉駅迄送ってくれた。
都市高速から見える朝日がとても美しく、「良い出発だね!!」
と今日の日を迎えれたのが、嬉しい気持ちが半分と、不安が半分、
無事、新幹線に乗った。
叔母と従兄弟が、博多から乗っていて出迎えてくれた。
 
9時36分、友達から「横内医院予約は2時半やけど、30分前の2時には医院に付いてて!」と一刻も速く知らせようとしてくれた、誤字脱字だらけのメールが届いた。
とにかく嬉しかった!
友達は、何と言って横内医院に電話してくれたのか?と想像したら、
気持ちが落ち着いたのか、笑いが出た。友達には感謝!!
 
12時30分、東京駅に付いた。
頼んでおいた車椅子を持って、駅員さんが席まで迎えに来てくれた。
東中野迄行きたい事を伝えると、
車椅子を押して、倉庫の中を通り、
お茶の水で乗り換えると、階段も無く解りやすいですよ!」
と丁寧に教えてくれる。
 
本当に簡単に、東中野に付いた。
13時30分には、横内医院に辿り着けた。
スタッフの方々が、優しく出迎えてくれる。
無事に、辿り着く事だけを考えていたので、本当に嬉しかった。
 
横内先生のビデオを見ている内に、時間が流れる。
 
母が呼ばれた!
私は、まだ外で待つ様に言われる。
ドキドキした。どんな告知をされるのか。
私も入って良いと、呼ばれる。
私が外で待つ間、(オーリングテスト)をしていた様子。
 
横内先生は、私の顔を見て、「体のどの部分にも、癌の活動はありません!安心して良いですよ!」
と言った。
そして、テキパキと説明に入る。
人を惹き付ける様な話し方をされる。
何故、癌になったか、考えましょう!
 
先ずは、電磁波、母は20年コンピューターの仕事をしている。
コンピューターや、携帯電話からはかなりの電磁波が出るらしい。
 
そして、1番は煙草、母は吸わないが、父は凄いヘビースモーカー、
そして、会社の皆さんもかなり煙草を吸うらしい。
吸っている人の害が、1としたら、横にいる人、つまり副流煙の害は52倍だと言う。
 
それから、よく扁桃腺しましたね!と言われた。
母は、扁桃腺が弱く、手術はしているが、良く寝込んでいた。
 
扁桃腺や、膀胱炎を起こす細菌
クラミジア、トラコマーテス)が、
肉腫にあったらしい。
これは扁桃腺だけではなく、癌の原因菌になっている。
 
今日まで1番重要だった、(癌)の薬は無くなったが、この菌を殺す薬はまだ必要なので、薬の内容が変わる。
 
横内先生は、1人1人に合う薬を、(オーリングテスト)で見極める。
 
食べ物、日常生活の指導があり、
3ヶ月後に来てください!との事、
 
癌の活動がある人は、2週間に1回と聞いていたので\(^o^)/という感じ。
横内先生は、又お会いしたい!と
強く思わずにはいられない程、
凄いエネルギーを感じた。
一目見て、大ファンになってしまった。
 
母のカルテは、初診と云うのに、ズッシリと厚く、私が日々送っていたFAXも、全部入っており、「面白い御手紙沢山有り難う!」と笑った。
 
煎じ薬は、35日分出たので、3回分を持って帰り、後は郵送をお願いした。
 
とにかく嬉しくて、横内医院を出るなり、父と弟に電話をかけた。
 
母は、行きは車椅子を使って、ヨロヨロと辿り着いたのに、
 
帰りは、いきなり元気になり、
帰りに京都に行こう!!とか言い出した。
 
従兄弟に、京都の駅の近くの宿を取らせ、ズンズンと歩く!
 
京都の宿で、美味しい物を沢山食べて、叔母と2人で直ぐ寝てしまった!
 
翌日、早朝から叩き起こされ、
電車を乗り継いで、寺に行ったり、バスに乗って、紅葉を見て回った。
 
私は、とにかく横内医院に辿り着く事しか考えて無かったので、
何処に行ったのか、全く解らない始末。
必死にヨタヨタと付いて回った。
 
 
11月14日(水曜日)
夜も九時を過ぎて、やっと家に帰り着いた。
父は、「生還おめでとう!良かった!」と母の顔を見て泣いた。
 
 
11月15日(木曜日)
早朝から母が、「おはよう!」と元気にうちに来た。
私は、体のアチコチが痛くて起き上がれない。
「何でそんなに元気なん?」
と聞くと、横内先生が、お腹に手を当てて(気)を入れてくれたと言い張る。
 
「月曜日から、仕事に行くよ!」
と言うので、ビックリ!
横内先生が、無理をしない程度なら良い!と言ったらしい。
「一応点滴には行こうよ!」
となだめる。
 
永井外科には、永井先生への感謝のお手紙と、東京と京都のお土産を持って、挨拶に伺った。
 
夫の実家に、子供達を迎えに行く。
 
11月16日(金曜日)
永井外科に、点滴をしに行く。
永井先生が、「お母さん、何か元気になって良かったね!」
と言ってくれた。
 
 
11月18日(日曜日)
皆で、大分県迄行き、4ヶ月ぶり?の温泉に入ってゆっくりした。
 
 
11月19日(月曜日)
仕事初め。
まだ無理はさせられないので、
母の上司が迎えに来てくれて、
会社で昼御飯を食べて、1時半に迎えに行く。
 
この日、生きて退院したら買ってあげようと思っていたドコモD503の赤を買いに行った。
 
 
11月21日(水曜日)
母が生き生きとしてきた。
もう無理はさせないし、煎じ薬は
何処に行くにも持って行かせ、
横内先生から言われた生活を送る。
 
癌の活動が止まっただけで、まだ、これから先も気を抜けないが、
食事が出来ない時は、早目に点滴に行ったり、仕事でも無理をさせない様、しっかり管理していきたい。