⑭大好きな母の笑顔

 

母がずっと眠ってる間に、祖母と写真を選んだ。
慰霊写真だ。
 
祖母が一番好きな母にしようと決めていた。
 
 
父が典礼会館の互助会に入っていた為、相談に行くと、写真をビデオ用に20枚程選んでください。との事なので、それも全て祖母に選んで貰った。
 
 
祖母は戦争中に、母を生んで一人で育てたらしい。
叔母は祖父が戦争から帰ってきてから、生まれたらしい。
 
 
たった一人で育てた娘に先立たれた祖母の気持ちは、はかりしれない。
 
 
ずっと祖母が居てくれたから、私は介護頑張れた。
本当に感謝している。
 
 
急に、母が亡くなると絶対私はパニックになると思い、
祖母が選んでくれた写真を持って打ち合わせに行った。
 
 
先ず、棺桶。
天女の姿が彫ってあるやつを選ぶと、典礼会館の係の人が「お嬢様、これは燃やして無くなるのですよ!」と慌てた。
 
「そんな事、馬鹿な私にだってわかります!」
 
係の人「いや、お値段が張りまして、、、」と冷汗をかいている。
 
言われなくても、値段はキチンと書いてある。
 
「もしかしてカタログにはあるけど、本物は無いの?」と聞くと、
汗をダラダラ流しながら「有ります!」と答える。
 
 
母は菊の花が嫌いだった。
 
「母は、菊が嫌いなので、一切使わないで!」と言うと、
 
「じゃあ何を?」と聞くので、
 
カサブランカが好きだった!沢山入れて!後は、菊以外ならお任せするから。」と言うと、さらにダラダラ汗を流しながら、
「菊が無いと土台が作れないので、土台だけ、使わせて下さい!」と拝まれた。
 
 
「でも、カサブランカを沢山だと、お花代が入ります!」
それは了解してます。
 
 
骨壷は、綺麗な花が描かれている、骨を沢山持って帰れる大きいのにした。
 
 
服は一番良いシルクの着物
 
 
霊柩車は白い大きい外車を選んだ。
 
 
係の人が「あの~、何人位、来られるのですか?」と聞いてきた。
 
 
それは私ではわからないので、
父に電話して、「ママの葬式、何人来る?」と聞いたら「20人位じゃないか?」と言うので、それを伝えた。
 
 
写真の順番だけ、伝えて、帰ろうとすると、
「お返しは、何が良いか?」と聞かれたので、オススメを聞くと
「これは、ドコドコのうどんで〜」
と言うので、「じゃあそれにして!」
と、通夜と葬式のお返しは別の物を選ばないといけない。と言うので
じゃあオススので!と言ったが、何だったが、忘れました!(オイ)
 
 
 
「それより、ここは御礼状は自分で書けないの?」と聞いた。
 
私は書きたかった。
 
「それはしてないのですよ。」
と申し訳無さそうに言う。
 
 
かなり粘ったが、決まりなのだそうで、泣く泣く諦めた。
 
 
 
「火葬場迄のバスは?」と言いかけて、さっき20人と言ったことを思い出して、黙った。
 
 
必ず、必ず、お迎えにあがりますので、
病院の指定してる所に、絶対に電話しないで下さい!
 
 
とパンフレットと、電話番号の所にマッキーでマルを付けて、渡してきた。
 
 
 
ずっと母と仕事をしていた同僚の方が、満潮と引き潮の時間が書いてある物を、3日毎に届けてくれる。
 
 
「この時間は、絶対にお母さんの所から離れちゃ駄目よ!」と解りやすく色のペンで書いてくれる。
 
 
そして、母の携帯から聞いた事ある名前の人達に電話をかけて、もうソロソロ危ない。と知らせる。
 
 
私はペンで塗られてない時間は、アレコレ用事を済ませていたので、叔母から、○○さんが来てくれた。と毎日の様に聞かされた。
 
 
 
これ、20人超えるんじゃない?
と思ったが、多目に用意しておくと聞いていたので、気にしない事にした。
 
 
夜は祖母が居ない時は、必ず母の隣で寝た。
 
 
祖母が居る時でも、ペンで書かれてる時間は病院に居た。
 
 
毎日の様に家族室に、寝泊まりした。
 
 
この時は母は眠っていたので、部屋に行くと会えたし、顔を触ることも出来た。
 
 
母が居なくなるということが、どれだけの恐怖かをまだ私は知らなかった。
 
 
 
母が、亡くなってから、私は地獄を見る。
 
 
6月26日、母が亡くなってみて、ただ、生きていてくれる事が、どれだけ私の支えになっていたかを思い知らされる。
 
 
皆、ひとしきりお別れした後、担当の3人で、体を綺麗にしてくれるとと事で、
 
下のフロアで、主治医と色んな話をした。
 
夜中に亡くなっても、昼までヨハネにいる家族も多いらしい。
 
『そうだ!一応典礼会館には電話しとかないと!』
 
お風呂に入っているので、ゆっくりで良いです。
 
と伝えたにも関わらず、電話して15分後には、玄関に来ていた。
 
 
母を見に行くと、髪の毛をドライヤーで乾かしてもらっている所だった。
 
もう、母の髪の毛をブローする事は無いと思うと、涙が出て来て、止まらなかった。
 
 
母を乗せた車に1人だけ乗れると言うので、祖母の事も考えてあげれずに、乗り込んだ。
 
 
会場に付くまで、今迄我慢してた分を吐き出すかの様に大声で、泣いた。
 
母が、布団に寝かされる。
 
枕元でひとしきり泣いてたら、スタッフが来て、
「打ち合わせ通りで良いですか?」
 
と言っているのが聞こえて、私だけが、「お願いします!」と言った。
 
 
仮通夜がある事を、初めて知って、通夜を伸ばした。
父が一番に言った。
 
「弟一家が来るのを待つ。」
 
朝になったので、横内先生にメールをいれる。
 
「貴方の頑張りは素晴らしかったです。どうか、自信を持ってこれからの人生歩んでください。」と返事が来たので、又泣いた。
 
 
 
「洗礼の儀式はどうされますか?」スタッフが聞きに来た。
 
私は、服と花と骨壷と棺桶を選んだから、後は父の好きにさせてやろうと思った。
 
 
父は「お願いします」と言い、洗礼の儀式の間、ずっと泣いていた。
 
皆が揃ってから、スタッフが棺桶を抱えてきた。
 
 
布団に寝てるのと、棺桶に入れられるのとでは、全く違う。
 
 
私は「ママー!ごめんね!私が殺してごめんね!ママー!嫌ー!!」
 
棺桶に入れるのを邪魔した。
 
 
叔母が、私をギューッと抱きしめてくれて、「自分を責めるのはもう辞めなさい。良く頑張ったね!」
叔母の辛さを思うと、力が抜けた。
 
 
そして、母は棺桶に入れられた。
 
 
私は、母の携帯電話をそっと、母の耳元に置いた。
 
 
その日は、どうやって過ごしたか覚えてない。
 
 
 
夜中に何回も弟の子どもがフスマごと、部屋の外に落ちるのを、弟は何事も無いように、布団に子供を寝かせて、フスマを立てて、そして寝た。
 
 
祖母は、ただビックリしていた。