⑮大好きな母、いなくなる

 

通夜の朝、私は自分の結婚式に母が着ていた紋付きの着物を着たい!と祖母にねだる。
 
 
2人で母宅に帰り、汗だくになって
母の着物箪笥から、一式探して典礼会館に戻る。
 
 
祖母に着せて貰うと、何と入らなかった!
 
汗だくの祖母は溜息を付いて
「少し、痩せなさい!」と怒った。
 
私はションボリして、ワンピースに着替えた。
 
 
会場を見に行くと、沢山のお花がドンドン届いている。
スタッフが、父に順番を聞いていた。
 
とうとうお花が会場に入らなくなり、スタッフが慌てている。
 
 
母の写真は、素敵な笑顔で私を見ていた。
 
お花は、カサブランカが沢山あって、菊は見えなかった。
 
 
お通夜の時間まで、まだ時間があるのに、沢山の人が母にお線香をあげに来てくれていた。
 
 
ヨハネで母に付いてくれていた3人の方も来てくれた。
 
 
 
受け付けがごった返している。
 
 
スタッフが青ざめてバタバタ動いている。
 
 
母が会場に移される。
 
 
受け付けが回らなくて、叔父、私の友達の旦那さん迄入ってくれている。
 
 
ずっと、母の事を応援してくれていた友達の旦那さんだった。
 
友達の顔を見て、泣き崩れた。
 
 
私達、親族は前の席に移される。
 
 
それでもドンドンお花が届き、人も沢山来て、会場のドアは閉めることが出来なくなり、
ドアの後ろまでお花が並び、スタッフが席を作っていた。
 
 
お通夜の挨拶は、私がした。
 
沢山の方に感謝の御礼を伝え、
 
母は、頑張った事、
負けて悔しい事、
ずっと母が大好きだということを
泣きながら伝えた。
 
 
そして、母のビデオを見た。
涙が止まらなかった。
 
 
焼香の時に、沢山の方に声をかけて頂き、泣いた。
 
 
お通夜は、終わり母が部屋に戻された。
 
 
祖母は疲れたのか、叔母達と母宅で寝る。と帰ってしまった。
 
 
 
典礼会館の方が「お嬢様、お話が違います〜」と泣きそうな顔をして私に言ってきた。
 
 
典礼会館では、お花の持ち込みをしておらず、
ドンドン掛かってくる電話を受けながら、
式場も大きい部屋に変え、スタッフも急遽増やし、
賞味期限がある(ドコドコのうどん)をアチコチから掻き集め、
御礼状も増やしと、てんてこまいだった様で、
「明日のお葬式は、一応今日位を目処に、今からまた人を掻き集めます。」
 
 
そして、「我が典礼会館は大きい会社なので、今日を乗り切れた!」
とシッカリ、アピールも忘れなかったので、私は小さく笑った。
 
 
それからも、訪問客は途絶える事もなく、弟の会社関係の方々が沢山来てくれた。
 
 
子ども達にも久しぶりに会えて嬉しかったが、夫の両親が又連れて帰ってくれた。
 
 
弟と義妹は、多分寝ていない。
 
 
 
お葬式の朝、皆で食事をした。
 
 
お葬式。
又、沢山の方々が来てくださり、お葬式の挨拶は弟がした。
 
 
母の上司には、母へのお別れの挨拶をお願いした。
 
何時も詭弁とした上司の姿とは思えない程、
嗚咽しながら最後は声を詰まらせて何を喋っているか解らないほど、
泣きながら母の名前を呼んでいた。
 
 
 
母との最後のお別れ。
 
 
沢山の方々がお手紙やお花を入れてくれた。
 
 
母のお気に入りの洋服、バック、靴、お財布の中には現金も沢山入れた。
 
携帯電話も充電しておき、繋げたまま、入れた。
 
 
献花。
7歳になっていた長女のみきが小さい花束を持っていた。
 
「ママありがとう。」としっかり言って棺桶に花束を置いた。
 
みきはもう解るのか、泣いていた。
 
 
 
出棺の挨拶は、父がした。
 
 
 
霊柩車には、4人乗れるので、
私、父、弟、祖母が乗った。
 
 
出棺のクラクションがただ
切なく響き、霊柩車は走り出した。
 
 
父が初めて声をあげて泣いた。
 
その姿がただ切なく、涙が止まらなかった。
 
 
火葬場に着いた。
 
 
私は、もうこれで母の姿が見れなくなる。と思い、父になかなかボタンを押させなかった。
また叔母に抱き締められて、父の顔を見て頷いた。
 
 
扉が閉まってからも「ママー!置いて行かないでー!」とうずくまって、その場から動けなかった。
 
 
気配がして、ふと、後ろを見ると、なんと友達2人が居た。
友達も泣いていた。
 
私はビックリして、「どうやって来たの?」と聞いていた。
 
 
夫の車に乗り込んで、着いてきてくれたらしい。
 
 
待合室に行くと、なんと沢山の方々が来てくれていた。
 
 
 
『火葬場には、親族しか来ない。』と思い込んで、バスすら用意しなかったのを後悔した。
 
 
 
母の名前が呼ばれ、沢山の方々が集まって来た。
 
 
扉が開かれた時には、もう母の姿はなく、お骨になっていた。
 
 
皆でお骨を壺に入れた。
 
 
 
 
そして、典礼会館に戻り、(初七日)を済ませる。
 
 
 
お花があまりにも多く、沢山の方々に持って帰って貰ったが、
 
 
私達親族もかなりのお花を持って帰った。
 
 
母宅に典礼会館の方が来て、お飾りをしてくれる。
 
 
皆で手を合わせて、お開きとなる。
 
 
私はこの日から、動けなくなった。
 
 
母のお骨の前で眠り、何も食べれなくなった。