⑩大好きな母の不調

 

 

 

11月10日
この頃から、母は食べた物を吐く様になっていた。
 
永井先生に相談すると、手術した医療センターで見てもらった方が良いと言うので、そのまま行った。
 
医療センターは、母を助ける気が無いのに、何故検査ばかりするのだろう。
 
この時、無理矢理にでも、会社を休ませて、横内医院に行けば、道は違っていただろう。
 
横内先生の、「癌の活動がない。」
と言うのは、癌の元になる遺伝子
「K.ras.fo8などの」
異常が無い。と言う事を意味し、
癌の後、腫瘍はそのまま残っていても、癌の活動腫瘍には、癌の異常増殖や転移の危険の失われた、
心配の無いただの「ぬけがら」の状態の物が、体の中にある事を云う。
 
例えば、「ぬけがら」に、ウイルスや、細菌などの、病原体の感染があると、「ぬけがら」のサイズが、大きくなったり、あたかも転移の様に、他の臓器組織、リンパ節が腫れたり、腹水や肺水が貯まったりする。
 
この様な状態でも、病原体が消えて無くなると、腫瘍も小さくなり、他の症状も無くなる。
 
これは、横内先生の本にも沢山の症例もあり、「ぬけがら」を癌の再発、転移だと、決めつけて、患者を脅す。
この時に、余命迄宣告する。
 
私は、これが怖かった。
 
内科主治医、「再発」と断言し、もう物が食べれなくなるから、24時間高カロリーを点滴をするべきだ。と言った。
私は主治医に、「この事は母には言わないでください!」とお願いした。
 
治す気もない癖に、定期検診に来させ、「ハイ!腫瘍があったね!もう直ぐ死ぬね!」と患者に言う神経が解らない。
 
横内先生に直ぐ電話をかける。
 
今伝えられた主治医の話を大慌てで、吃りながら說明する私に、
「再発なんて、そんな有り得ないよ!でも、コブや、腫瘍が、出てきた理由が必ずあるからね!その原因を取ってあげないと、お母さんがキツイからね!」と呑気に言う。
 
「でも母は衰弱してるのです!心配だから、見てください!」
 
と必死に言うと、「来れる?来れるなら、一番良いよ!癌じゃ無い証拠を見せてあげるよ!」
 
と、無理矢理、11月21日(木曜日)
予約を押し込んでくれた。
 
母が会社を休まない!と言い張るので、母の会社の近くにある、
のだ内科の先生にお会いして、毎日、点滴をして貰う。
 
 
11月21日(木曜日)
横内医院診察の日、母は衰弱して弱々しい。
 
早速(オーリングテスト)に入る。
何かに反応したのか、「あ!来て良かったね!」と言った。
 
続いて、外国人のドクターが入ってきて、そのドクターは半レーザーを使わず、自分の手の平を母の体中に添わせた。
カタコトの日本語で、「体のどの部分にも癌はありません!」と言った。
 
体のアチコチに、【気】のテープを貼られ、説明に入る。
 
A2ウイルスが、体に入っている。
 
「これを殺さなければ、お母さんキツイからね!」
横内先生は、
「医療センター、もう通うのやめたら?」と言う。
私もそう思った。
 
 
医療センターの主治医は、癌が再発したので、もうご飯が食べれないから、入院して、24時間の点滴をする!と言った。
 
でも横内先生は、お母さん、栗が大好きだね!もし、癌の再発だったら、栗もバクバク食べれないよね?
 
母は、私を睨んだ。
「私、言ってない!言ってない!」
何で、横内先生は母が私に栗を大量に買ってこさせ、毎日食べてるのを知ってるんだろう?
 
そういえば、栗は、吐かない。
 
そして母は、横内先生と外国人のドクターからも、【気】を入れてもらった様で、行きは又車椅子で来たのに、帰りはいきなり元気になり、飛騨高山に行くと言い出した。
 
新幹線の中、高山までの電車の中、アレコレ好きなモノを買って、沢山食べた。
 
高山駅の近くのホテルを取り、
豪華な食事も楽しんだ。
 
次の日は、白川郷迄バスで行き、又そこでも沢山食べた。
 
私だけ、疲れ果て、白川郷には流石に付いて行けなくて、ホテルでガンガン寝た。