⑪大好きな母の精神状態

 

 
母の職場が傾いているらしく、
 
母の上司は、
社長に「自分は自殺するから、出た保険金で何とか会社を経ち直してくれ。」
と託していた。
 
上司は、「保険金が出た所で、経ち直せれるかは、解らない。」
 
そして、もうこの会社は駄目だ!
共倒れになるなら、今退職金を貰って辞めた方が良いのでは?
 
母の上司から、この話しが出るようになってから、母は又食事を吐く様になる。
 
そして、横内医院の薬が飲めなくなった。
 
私は、昔かかりつけだった内科の院長が引退するので、県外にいた、消化器科内科の長男を呼び戻すから、会ってみてくれ!と言われ、長男の時期院長に、母のこれまでのいきさつを、お話に伺った。
 
何と、横内先生の事も、治療内容も理解している医者だった。
 
私は直ぐ、自宅で24時間点滴出来るかを、相談してみた。
 
ここは田舎で、医者の考えも古く、指導は医療センターで受けないといけない事に、少しがっかりもしたが、週に1回チューブを変えるのは、その新院長が、往診してくれると言うので、お願いした。
 
さっさと母を医療センターに入院させて、首から針を指してもらい、
今は知らないが、昔は[ヘパリンロック]をして、お風呂に入れて、
又点滴を流す。と言う訓練を受けた。
 
「これが出来ないと、帰れませんよ」と嫌味をいうナースもいたが、私は直ぐ覚えた。
 
あまりの手際の良さに、「あのー、もしかしてナースだったんですか?」と言われてしまった。
「只の美容師です!」とつい言い返してしまった。
 
母は直ぐ退院出来た。
 
点滴をぶら下げて、まだ仕事に行こうとする。
辞めるのも引き継ぎがあるからだ。
 
社長は、自分の二人の妹に、母の引き継ぎをさせたらしい。
 
横内医院の薬を、飲めなくなった為、熊本から祖母が、応援に来た。
 
寝込む事も多くなり、社長の妹さんは、家まで仕事を習いに来てくれた。
 
横内医院の薬が飲めなくなると、ドンドン体調が悪くなった。
 
そして、私と叔母を呼び、
「もう疲れた。もう楽になったら駄目?」と泣いた。
 
私は生きて欲しかった。
でも母の人生、私にはどうする事も出来なかった。
 
その頃、独立型ホスピスを見つけた。
ヨハネ病院。
 
 
直ぐに行ってみて、本を買った。
 
医師が白衣を来てない。
ナースがアルプスのハイジの様なドレスを着ていた。
 
このホスピスには、「ショートスティ]という、お泊りがあるのが魅力だった。
 
 
母は、病気に疲れている。
私は介護に疲れていた。
 
 
この頃から心療内科には通っていた。
 
ホスピスと聞くと、もう個々で死ぬんだ。
 
と思う人が多いが、
ここは、患者にも、家族にも一旦リフレッシュ出来ると言うのが、気に入って、
 
 
母を見学に誘ってみた。
 
 
私が、夜お酒を飲みだしたから、母は気になってたらしい。
 
「4日位、来てみようかな!」
 
と言うので、祖母、伯母が付き添う!と言い出した。
 
 
私が泊まりたいなら、泊まれる部屋もあった。
 
ナース1人と、ヘルパー2人が、1人の患者さんに付く。
 
 
来客が、来ると家族は、下の清潔で
飲み物等出せる場所で、来客をもてなせる。
 
色んな器具が置いてある。
 
私はその中で、酸素カプセルみたいなのに、入るのが好きだった。
 
 
レーニングルームもある。
 
ホントにお城みたいな所で、皆リフレッシュ出来た。
 
 
母は、鬱になっていた。
 
上司が、退職の手続きしてくれて、
 
母は、退職した。
 
それは母の唯一の生きる希望を、無くした日だった。