⑨大好きな母の手術一年後

 

平成14年8月13日
1年前の手術中に、死んでいたら
「今日が母の命日になってたよね!」と皆で笑いながら、
門司の花火を見に行った。
母が沢山お弁当を作ってくれていた。皆で美味しく食べながら見る花火は、
今迄生きて来て見たどの花火よりも美しくかった。
 
仕事大好き人間の母は、
なかなかゆっくりしてくれないので、上司が毎朝迎えに来て、
お昼ごはん、夜ご飯を食べさせてくれてから、送って帰ってくれていた。
 
調子が悪い時は、直ぐ迎えに行って、家でゆっくりさせた。
 
負担になる家事は全て私がして、
煎じ薬だけ、毎日何があろうと、
作る前に寝る事はしなかった。
 
仕事もバリバリこなし、沢山の友達と旅行に行ったり、
遊びに行ったりと、
毎日忙しそうで、つい、母が病気だったと忘れてしまう事もあった。
 
横内医院、二回目の診察の時に、
私と長女の予約も入れた。
 
私も長女も、重度な喘息で、
入院を繰り返してた。
 
横内先生が「みきちゃんの喘息が、煙草喘息なら、あなた、煙草辞めなさい!」
 
と、みきの(オーリングテスト)をした。
みきは煙草喘息では無かった。
 
次に、私の診察をして貰い、(オーリングテスト)の結果、私は煙草喘息だった。
 
煎じ薬は、私とみきのは、ピッタリあって、私とみきのセットも2回分貰って、後は郵送をお願いした。
横内医院の煎じ薬は重くて、とても持って帰れる重さじゃない。
 
6歳になっていたみきは、アイスを食べさせながらだと、上手に飲んでくれた。
 
2番煎じを、父に飲ませると重度のアトピーが、軽くなった。
そして、風邪さえひかなくなった。
 
私とみきは、直ぐ薬が効いて、
入院する事も、喘息になる事も、
風邪さえひかなくなった。