⑦大好きな母、永井医院との出会い

 
母が入院して直ぐ、叔母に、自分の部屋からある物を持って来てくれ!と言っていた。
 
叔母が、コインの様な物を持って行くと、大事そうに握り締めていた。
 
「それは、何?」と聞くと、東京の横内先生が作った電磁波ブロッカーで、有害電磁波を遮断する物らしい。
 
人体は有害電磁波を浴びると、(気)が停滞する。
(気)の停滞により、色々な病気が出て来る。
 
文明が進歩すればする程、電磁波被爆は増加する。
 
電子レンジ、ホットカーペット等の家電製品の他、携帯電話や、pcを持つ人が多くなり、
この先白血病、脳腫瘍、癌は増え続けるだろう。
 
この電磁波ブロッカーを、船井幸雄先生が持っていて、「東京の横内医院に行けば、末期癌でも怖くないですよ!」と言ったそうで、知り合いが(癌)になったら、教えてあげようと思い、電話番号をメモして帰り、早速に電話して、本とブロッカーを注文して買ったらしい。
 
母が、ブロッカーを手に入れた時の感動を語る。
「普通に体を2つに曲げた時に、手が膝の下迄しか届かないのが、ブロッカーを10分握って、もう一回体を2つに曲げたら、床に手の平がペタッと付いた!
これで癌になっても大丈夫!と涙が出た。」
(母は実父を末期癌で亡くしている)
 
私は手術の時に主治医から、(癌)と思ってくれ!と言われた事が、頭にあったので、
母に横内医院の本がある場所を聞き出し、直ぐ横内医院にFAXした。
 
問診表がFAXで届いたので、先にお金を送り、必要な書類、(CTのコピー、スナップ写真、家で飲んでいる水をペットボトルに入れて)
お金と同じ日に届く様に、ジェット便で出した。
 
横内医院とは、漢方薬と気孔を使い、
環境ホルモンや、発癌性物質を排除した生活を、患者に指導し、
 
(癌)を再発、転移させないとする医院で、
(癌)が喜ぶものを生活から排除させ、食事、生活の在り方を患者に守らせるので、
末期癌生存の医院として知られているのだろう。
 
私は3冊の本をむさぶる様にして読んだ。
 
横内先生は、医者の家系で育ち、自らメスを握ってオペをしていて、
西洋医学での30年の経験も有り、決して、西洋医学を否定してはいない。
検査は、(オーリングテスト)で全ての結果を出す。
 
日本でも(オーリングテスト)をしてくれる医師は、何人も居るが、医療行為としての保険が効かない為、サービスという形でしている医師が多い。
(オーリングテストの事は横内先生の本参照)
 
 
9月2日(日曜日)
ジェット便で横内医院からの荷物が届いた。
 
CTとスナップ写真では、(癌)の活動はあるとの事。
不適食品は、乳製品と、牛肉、玄米。
その日の内に、漢方薬を煎じておき、
 
9月3日(月曜日)
朝6時に持って行き、直ぐ飲ませる。
 
(癌)の活動を止める、ツボに貼るテープを、診断書を見ながら体に貼ってやる。
そして、そのツボをよく揉んだ。
 
 
9月4日(火曜日)
私は、この時告知の事で悩んでいた。
横内医院は、インフォームドコンセント(告知)が前提で治療を進めていく。
 
私は横内先生にお会い出来たら、の告知は治療を進めていく上で必要だろうから、賛成なのだが、
身も心も弱り切っている時の告知は、絶対に嫌だった。
生き抜く希望や、病気と戦う気力を無くす様な告知は、するつもりが無かった。
 
しかし、横内医院の煎じ薬は、告知無しではとても飲めない。
 
生き抜く為には、頑張って飲もう!と強く思わなければ、とても飲める物では無い。
 
 
9月5日(水曜日)
告知を決意した。
でも余命や、普通の(癌)よりも悪性度が高い事は言わずに、
母の肉腫は再発しやすい事、
治療は摘出手術しか無く、
又直ぐにお腹を切って、痛い思いをするのは嫌なら、
頑張って、煎じ薬を飲む様に言った。
(本当は再発した場合、再手術はしない。延命治療もしない。と言われていた。)
 
 
9月6日(木曜日)
一日約800ÇCのノルマがこなせない。
横内医院に電話してみる。
一日分を2日に分けて飲む様に言われる。
 
 
9月7日(金曜日)
毎日、愛情を込めて、煎じ薬を作って行き、横で目を光らせて飲ませる。
母は、見舞い客に「これを飲まないと娘が怒るから」と物凄い顔をして飲んでいたらしい。
 
 
9月15日(土曜日)
二度目の資料を送りたい為、CTのコピーをお願いしたが、断られる。
 
主治医は私を呼び出し、「患者の意思なら平行治療も許すつもりで、紹介状を差上げたのに、返事も書いて来ない失礼な医者は、ヤブ医者に違い無い!どうしても横内医院の治療をしたいなら、今直ぐ退院して欲しい!」と怒った。
 
私はただ、「申し訳ありません」と誤って、スナップ写真と他の資料を横内医院に送った。
 
そして直ぐに、外科医を怒らせたお詫びの手紙を書いて出しておいた。
 
 
9月20日(木曜日)
信じる。と云うことは難しい。
私はこの時、横内医院の事を、絶対に信じよう!という気持ちは、
正直言うと無く、ただ、他に母を治す道が無いのだから、とにかく初診に漕ぎ着ける迄は、信じて飲ませようと思っていた。
 
その後の事は、母が横内先生にお会い出来てから、決めれば良い事なのだから。
 
横内先生の本には、東洋医学には栄養を取る方法が無いので、それは西洋医学に頼るしか無い!
と書いてあった。
 
私は横内医院の治療を応援してくれて、栄養状態が悪くなった時に、さっさと入院して、高カロリー点滴をしてくれる、近くの病院を探そう!と決めた。
 
 
9月27日(木曜日)
家の近所で、毎日傷の付替えをしてくれる病院があれば、退院していいと言われ、
主治医は、近くの総合病院を勧めて来たが、
私は1ヶ月以上も毎日通う医院に、今後の事をお願いしないという様な、勿体無い事をするつもりは無かったので、
自分でとにかく見て回った。
 
決め手は、母の吉方位。
10月2日が大安だったので、母と勝手に、その日に退院する事を決めていた。
 
そして、永井外科の医院長と出会えたのだ!
永井外科は、医院長が、外科と胃腸科、息子さんの副医院長が整形とリューマチを担当している医院である。
玄関前に作られた庭が縁起が良く、ゆったりとした待合室、
受付の方や、ナースも感じが良い!
小さいけど、入院施設もあり、家から歩いても5分位!
 
 
9月28日(金曜日)
早速、外科主治医に、永井外科に通う事、退院を10月2日にしたい事を告げた。
 
外科主治医は、直ぐ永井先生に電話でお願いしてくれて、紹介状も
書いてくれた。
又、今後の事を大至急、内科のドクターと相談していた。
 
 
10月2日(火曜日)
無事退院。叔母が応援に来てくれた。
母と叔母を、家に連れて帰り、そのまま永井外科に紹介状を持って挨拶に伺う。
 
10月3日(水曜日)
初めての永井外科。
先生もナースもとても優しかったと母が嬉しそうに話す。
傷が治る迄、毎日永井外科で付替え、週に一度医療センターに通う。
 
 
10月16日(火曜日)
医療センターの診察の日。
母は、外科主治医に、23日に東京の横内医院に行って良いか?と聞いていた。
「体調が万全じゃ無いのに、駄目だ!」
と言われ、自信を無くし、23日は行かない!と言い出した。
 
これには流石の私も困り果て、先に手を回しておかなかった事を後悔するが、もう遅い。
 
直ぐに横内医院に電話をかけて、キャンセルした。
次、開いてるのは12月28日。
私は不安だった。
無事に横内先生にお会い出来るのか?
それまで母は、大丈夫なのか?
とにかく煎じ薬だけは、口うるさく言って飲ませ続けた。
 
 
10月23日(火曜日)
私は、永井先生にお願いしよう!と決めていた。
朝「先生の開いた時間にお話がしたい。」と電話しておき、
3時頃、永井外科に行った。
 
永井先生は、母の肉腫は西洋医学では治療法が無い事や、再発した場合、再手術出来無い事を、解った上で、キチンと私と向き合って、話を聞いてくれた。
 
「世界で癌に効く抗癌剤は無い。
医者は皆解っている。
それでも使うのは、家族に対する想いからだ。」と言うので、
 
「じゃあ、その想いを、母に対しては、横内医院の治療を応援してくれると云う形でください!」
と深く頭をさげて、お願いした。
 
横内医院の治療内容の事はあえて言わず、「今出来る事は何でもしたいので、それを応援してください!」
と必死の形相で、お願いした。
 
永井先生は、東京の横内医院に行く前に、何日間か、高カロリー点滴をする為に、入院して、帰って来て、体力が落ちていたら、又入院したら良いからね!
頑張って、横内医院に行くように!と母の背中を押してくれると約束してくれた。
 
横内医院に電話をした。
「初診の日迄に、煎じ薬が足りなくなるので、送ってください!」
と言うと、何と!「11月13日に、キャンセルが出たので、どうですか?」と言う!
母に聞きもせずに、「お願いします!」と予約を取り、絶対に11月13日に、横内医院に行こう!と決心した。
 
 
先ず、叔母に電話した。
永井先生に相談したら、点滴入院してでも、行った方が良い!と言われたから、11月13日に、必ず連れて行くから、叔母ちゃんからも母に言って!」
と、まるで、永井先生が熱心に勧めた様な言い方をした。
「先生がそう言うなら!」と、もし母が不安がる様なら、叔母ちゃんも付いていくから!と母に電話してみると言ってくれた。
「お願いよ!絶対に行く気にさせてね!」と、母の説得は、叔母に任せる事にした。
母は、叔母が「付いていく!」と言うと、簡単に行く気になった様だ。
やはり、姉妹愛と云うのは強いのだろう。
それか、私と二人だけで、東京に行く事が不安だったのかもしれない。
 
永井先生に、「11月13日に、初診が決まったので、母の背中を押してください!」と、お願いの手紙を書いて、持って行った。
 
 
10月25日(木曜日)
母が、永井外科に行くと、永井先生は11月13日に横内医院の初診が決まった事を、とても喜んでくれて、「1週間前から毎日高カロリー点滴をして、体力を付けて、東京から帰って来て、又体力が付くまで点滴に通っても良いし、入院しても良いからね!」と、横内医院行きを、強く進めてくれたらしい。
母は、完全に行く気になった様子。
 
 
11月6日(火曜日)
医療センター診察。
傷が綺麗になったので、外科は終わり!
13日(火曜日)は医療センター診察はトンズラさせるつもりだったので、「良かったねー!」と喜ぶ。
 
この日から、毎日永井外科に点滴に通う。
 
横内医院の初診が決まった事を、永井外科の婦長さんも、大変喜んでくれて、「これ、東京に行くときに使ってね!」とプレゼントをくれた。
開けてみると、薄いピンク色の可愛らしいレースが沢山付いたポーチだった。
 
 
この医院に出会えた事に感謝した。