④宝物、笑衣(えみい)

 
夫は男の子を欲しがっていた。
 
私は元気に生まれてきてくれたらどちらでも良かった。
 
みきは何故か絶対に「妹!」と言い張っていた。
 
妊娠が解り、産婦人科に行くと、先生が「やっと来たかね?」と歓迎してくれた。
 
みきを無事に生んだ安心感からか、今回の妊娠に不安は無かった。
 
先生は、「あんた、今回はもう初めから麻酔にしなさいね!」と笑った。
一応、4ヶ月から、陣痛が来ない薬を飲んだ。
みきは幼稚園の年少さんになっていた。
友達が役員の三役を引き受けたので、私も一緒に幼稚園で仕事をした。
みきは、お友達に「みきちゃんの赤ちゃんおるよ!」と威張って、
私の大きいお腹に向かって、「早く出ておいで!みきちゃんと一緒に遊ぼう!」と毎日一日に何回も声をかけた。
そして私はまたも34キロ太っていた。
 
みきは人見知りが激しく、直ぐ泣くので、名前の字画を変えてアレコレ考えた。
女の子と解ったので、幸せに笑って一生を送れる様に!笑う門には福来たる!で笑いをまとう、と願いを込めて、【笑衣】と決めていた。
 
みきが病弱な子供だった為、えみいの妊娠中は、頑張って嫌いな魚でも何でも食べた。
 
そしてみきに追われる毎日だったので、じっとすることは無かった。
 
定期検診の7月初め、夫に付き添ってもらい、診察を受けた。
先生が「もう子宮口が3センチ開いてるから何時でもいいよ!」と言った。
夫は目をキラキラさせて、「じゃあ7月5日でも良いですか?」と聞いた。
先生は「ちょうど良いかもね!」と笑ってカルテに書いてくれた。
7月5日は、夫の誕生日だった!
 
7月5日、朝から友達が迎えに来てくれた。
私が出産する間、みきを見てくれる。友達の子供も一緒に。
行きがけにセブンイレブンに寄って、子供達のお菓子とか食事とかジュースを買い込んだ。
みきが「オシッコしたい!」と言うのでトイレに連れて行こうとしたら、トイレの入り口でお腹がつかえて入れなかった!
直ぐ友達がみきにオシッコさせてくれた。
 
もう一人の友達も直ぐ駆けつけてくれた。
 
私のお産の間、子供5人と友達は私が入院する部屋で待たされた。
 
でも隣の部屋に帝王切開した人がいて、余りにうるさいので、部屋を変えられた。
何回も交代で私の様子を見に来てくれた。
心強かった。
 
みきを産むとき陣痛の中で麻酔をしたので、脊髄注射の痛みを感じなかった。
だが今回は、お腹を丸めて、脊髄に注射された痛みに涙が出た。
促進剤を使う。
 
夜8時を回っていた。
 
友達は12時間も子供5人をなだめながら、見てくれていた。
 
そろそろテレビ電話室に友達、母、夫、もう眠たくて、ぐずるみきが映し出された。
 
ナースは「いきんで!」と言うが、感覚が無いのでいきめない!
ただ声だけ「ウ~ン!ウ~ン!」と叫んでいた。
「もうすぐよ!」とナースがさすってくれる。
 
そして9時頃、「オギャー!」と、かん高い鳴き声がした!
 
みきはダミ声だったのに、この子は何て女の子らしく可愛らしい声なの?と涙が止まらなかった。
 
先生はみきの時と同じように、へその緒がついたまま、私の手の平に赤ちゃんを置いてくれた。
温かい!この子も温かい!そして重い!
 
先生がテレビに向かって「旦那さんだけ来てください!」と言った!
 
テレビの中には誰も居なかった!
ドタバタとテレビの中にいた皆が入ってきた!
 
先生が「患者も言うこと聞かんけど、家族もやなー!」と呆れていた!もうお祭りムードだった!
 
皆が「えみいちゃん、会いたかったよ!」と泣いていた。
 
夫だけ、手術着を着て、抱っこが許された。
 
みきは2448グラム、髪の毛は禿げてた。
えみいは3116グラム、髪の毛がフサフサしていた。
そして、背中に黒いアザがあった。
 
はえみいがお腹にいるときに、揚げ物をしていて、ちょっと目を離したすきに火が換気扇まであがっていて、火事になりかけた。
 
必死に濡れたバスタオルで消したけどキッチンはボロボロになっていた。
お腹が大きい私には片付けをする事が出来ず、母がしてくれた。
 
妊娠中に火事を起こしたらアザのある子どもが生まれると聞いたことがあったので、心から悔やんで泣いた。
でも顔じゃなくて良かった!と安心もした。
 
処置室のベットで寝かされてる時に、赤ちゃんをオッパイを吸う練習にとナースが連れてきてくれた。
 
ズッシリと重く、骨も太く、髪の毛もフサフサだったえみいが可愛くて、どんな事があっても、この子を一生守って行くと誓った。
 
夫が毎日みきを連れてきてくれた。
みきはもうお姉ちゃん気取りで、ミルクを飲ませたり、まだ首が座ってないえみいを何回も抱くと騒ぐのでヒヤヒヤした。
 
みきの時は食事は部屋で立って食べていた。
だけどえみいの時は座れた事にビックリして、食事も他のお母さん達とレストランで食べる事が出来た。
 
その時に、初めてみきの時はかなり広く切られたこと、肛門まで裂けていた事を知らされた。
 
えみいの時の入院は、オッパイタイムで他のお母さん達と楽しく話したり、沢山の人がお見舞いに来てくれて、あっという間に、退院になった。
 
退院してからは、大変だった。
 
ちょっと目を離すと、みきが首も座ってないえみいをおんぶ紐に入れておんぶや抱っこしたがる。
 
みきが何時もベタベタと触るので、赤ちゃんのえみいは凄く疲れていたのだろう。
 
みきが幼稚園に行くとえみいとの時間が取れると楽しみにしていた私を無視して、グーグー寝ていた。
 
赤ちゃんのえみいは何時もみきに振り回されて、常に必死に寝ていた。
余りにも手がかからないので、拍子抜けしたほど。
 
常にみき中心の生活をしていた為、赤ちゃんのえみいは何時もグーグー寝ていた。
 
そしてカワイイ笑顔を見せて私達を虜にした。
みきと全く違い、赤ちゃんながらに良くニコニコと笑う女の子だった。
名前の通り、笑顔が凄くカワイイ。
 
夫は自分と同じ誕生日のえみいを目の中に入れても痛くない程愛した。
 
 
ニコニコと笑うえみいを、母はたいそう可愛がった。
直ぐ自分の部屋に連れて行って面倒見てくれた。
 
私が「おいで!」と言っても、母にしがみついて私の所には来なかった程、両親はえみいを可愛がった。